ノカノワ

野菜はなぜこんなに「そろって」いる?その裏にある厳しい基準と自然栽培のむずかしさ

スーパーに並ぶトマトやきゅうりは、どれも同じ形・同じ大きさで、まるで工場で作られた製品のように揃っています。
当たり前のように広がるこの光景に違和感を覚える人は少ないはずです。

ですが、よく考えると、どこか不思議ではないでしょうか。

自然の中で育つ野菜は、本来なら大小さまざま。日当たりや雨の量、虫や土の状態によって、一つひとつの姿が違うのが普通です。

それなのに、スーパーには均一な野菜ばかりが並んでいます。
なぜこんなことが可能なのでしょうか。

その理由は、とても細かく、そして厳格に定められた「規格」という基準にあります。

私は卸売業に携わっていた経験から、この規格がどれほど細かく、そして現場にとって大きな意味を持つかをよく知っています。

この記事では、野菜の規格の仕組みと、規格があるからこそ自然栽培が難しくなる理由について、できるだけわかりやすくお伝えしていきます。

野菜の「規格」とは何か

たとえば 生食用のトマトの場合でも、実はたくさんの種類や規格が存在します。

  • 大玉、中玉、ミニトマトなどの サイズ分類

  • 桃太郎やフルティカなどの 品種ごとの基準

  • 完熟、半熟などの 収穫時期・用途による分類

  • 産地や市場によって異なる等級の基準

  • ブランドトマト(例:○○産フルーツトマトなど)の独自基準

その中の 一例として、一般的な大玉トマトの基準 を挙げると、次のような内容になります:

  • 重さ:100〜120g

  • 直径:60〜65mm

  • 色:全体の80%以上が赤く、色ムラがない

  • 形:割れ、ヘコミ、奇形がない

  • 表面:虫食いや病気の痕跡がない

  • ヘタ:しおれておらず、色つやが良い

あくまで 一例 であって、どの種類・どの出荷先・どの市場かによって さらに細かく異なる規格が設定されています

しかし、どのトマトにも共通しているのは、「見た目・大きさ・品質が揃っていること」が求められる ということです。

現場では「これくらいなら大丈夫」と思える小さな差でも、基準に照らせば アウト になることも多々あります。
それほどまでに「揃っていること」が求められているのです。

なぜここまで細かいのか?

理由①:消費者が「当たり前に揃っている野菜」を求めるから

私たちは普段、野菜が揃っていることを「当たり前」と思っています。
でも、自然に育てば必ず大小・色ムラ・曲がりなどが出るはずです。
それでも「スーパーで選びやすい」「品質が安定している」と感じてもらうために、
規格で「均一な野菜」を並べているわけです。

理由②:物流・流通の効率のため

卸売・物流の現場では、

  • サイズや等級ごとに値段が決まり

  • 箱詰めや輸送時のズレをなくし

  • 販売先ごとに分けやすくする

など、 流れをスムーズにするための基準として規格が存在しています。

規格がなければ、
「この箱は大きいのと小さいのが混ざってる…」
「このロットの品質はどれ?」
と、現場で混乱する原因になります。

理由③:クレームリスクを減らすため

消費者や販売店から「サイズが違う」「見た目が悪い」「質が落ちている」といった
クレームや返品が発生すると、農家 → 卸 → 小売店 まで関係者すべてに影響します。

だからこそ「誰が見ても同じ品質」と言える状態を保つために、細かい規格で「間違いがない状態」にしている のです。

この規格に合わせるには「管理された農業」が必要

こうした厳しい規格に対応するため、
農家は 次のような管理や対策を行わざるを得ません。

求められる品質 必要な手段
同じ大きさ 肥料で成長をコントロール
色・形を揃える F1種を使って性質を均一に
傷・病気なし 農薬で防除する
収穫時期を合わせる ハウスや潅水で環境管理

つまり、「自然まかせではバラつくものを、人の手で揃える農業」 が主流なのです。

自然栽培ではなぜ難しいのか?

自然栽培は、

  • 農薬や化学肥料を使わない

  • 天候や土の力にまかせる

  • 品種もF1ではなく、在来種や固定種など個性豊かなものを選ぶことが多い

つまり「 自然のままを活かす農業 」です。

そうすると当然、

  • 大きさにばらつきが出る

  • 病気や虫食いの跡が出ることもある

  • 色や形に「個性」が出る

でも、これは 自然なこと なんです。
むしろ、それを「不良品」とすること自体が不自然なのかもしれません。

まとめ:効率か、多様性か

規格は「効率よく安定した供給を実現するための仕組み」です。
でも、自然栽培は「自然の多様性をそのまま活かす農法」です。

どちらも目的が違うので、自然栽培を細かい規格で評価しようとすること自体、かみ合っていません。

揃った野菜には、揃えるための努力がある。
不揃いな野菜には、自然そのままの命の力がある。

どちらを選ぶかは、食べる人の価値観次第。

この記事が、野菜の見方や農業の背景について考えるきっかけになれば幸いです。