日本の食品ロスが減らない本当の理由|社会の仕組みと私たちにできること
日本では、年間およそ 460万トン の食品が捨てられています(令和5年度推計)。
これは 東京ドーム約5杯分 にあたる量です。
一人あたりに換算すると、年間で 約37kg。
お茶碗に盛ったごはんなら、毎日1杯分を捨てている計算になります。
食料の多くを輸入に頼る日本。
それにもかかわらず、これほど多くの食べものが廃棄されているという現実があります。
言葉では「もったいない」と言いながら、実際には世界でも有数の“食品ロス大国”。
その背景には、個人の意識だけでは変えられない“社会の仕組み”の問題が潜んでいます。
経済構造:「廃棄しても利益が出る」仕組み
食品ロスを生む一番の土台は、経済の構造にあります。
小売店やメーカーは、欠品による“売り逃し”を避けるため、あらかじめ多めに仕入れ、多めに作ります。
在庫が余っても、廃棄コストは経費として処理できるため、「多少捨てても利益が出る」ビジネスモデルが成り立ってしまうのです。
この仕組みのもとでは、「必要な分だけ作る」よりも「切らさないように並べる」ことが優先されます。
結果として、コンビニやスーパーでは日常的に売れ残りが発生し、「安心のための過剰供給」が食品ロスを支える構造になっています。
消費文化:見た目と期限へのこだわり
日本の消費文化にも、ロスを生む要因があります。
わずかな傷や形の違いで“規格外”として出荷できない農産物、賞味期限が少し近いだけで棚から下げられる加工食品。
私たちが「新しくてきれいなもの」を求めるほど、食べられるものが市場から排除される構造が広がっていきます。
こうした文化は「衛生的で安心」という価値観の裏返しでもありますが、安全と過剰な清潔志向の境界が曖昧になり、結果として“もったいない”を日常的に生み出しています。
完璧を求めすぎる社会ほど、ロスが増える。そこに日本の矛盾があります。
流通システム:固定化された慣習の壁
日本の食品流通は、生産者から消費者まで多くの段階を経ます。
その中で、需要予測のずれや納品ルールの厳格さが、ロスを大きくしています。
とくに象徴的なのが、「3分の1ルール」。
賞味期限の1/3以内に納品しなければ返品、2/3を過ぎると販売できないという業界慣行です。
このルールは流通の安心を守る一方で、期限内であっても大量の食品を廃棄させる原因になっています。
在庫を他店舗へ回す柔軟性も低く、制度そのものがロスを生みやすい構造になっているのが実情です。
再利用の仕組み:善意だけでは続かない
フードバンクやフードシェアの活動、飼料や堆肥としての再利用など、ロスを減らす取り組みも増えています。
しかし、企業にとっては「寄付より廃棄の方が手続きが簡単」という現実があります。
食品を再利用に回すには、安全確認や輸送コスト、責任の所在など多くの課題があり、善意だけでは維持しにくい仕組みになっています。
さらに、再利用の受け入れ先も地域によって差が大きく、ロスを“活かす流れ”が社会全体に根づいていないのが現状です。
私たちにできること:小さな選択が仕組みを動かす
食品ロスは、企業や制度だけの問題ではありません。
日々の中で何を選び、どう使うか。
その積み重ねが、知らず知らずのうちに社会の形をつくっています。
- 買うときに:見た目や日付だけで判断せず、必要な分だけを選ぶ。
- 使うときに:冷蔵庫や棚の奥を見直し、食材を使いきる。
- 伝えるときに:規格外品や地元の野菜を選び、その魅力を伝える。
これらは、ほんの些細なことかもしれません。
けれど、一人ひとりの心がけや小さな行動が、やがて社会を動かす大きな力になります。
すぐに変わることはなくても、その変化の芽は、少しずつ育っていきます。
「いのちの姿」を見る
買い方や使い方を変えると、食べものの見え方も変わってきます。
“きれいさ”や“形の整い”よりも、その食材がどんな環境で育ち、どんな力を持っているのかに目が向くようになります。
形が不揃いでも、色が少し違っていても、それぞれの野菜や果物には、その土地で生きた証が宿っています。
自然栽培の畑で見る野菜たちは、まさにその象徴です。
“見た目のきれいさ”ではなく、“いのちの力強さ”を感じながら選ぶ。
そんな価値観が広がっていけば、捨てられる食べものもきっと減っていきます。
おわりに:わたしたちの選択で変えていく
食品ロスを減らすことは、食べものをどう作り、どう届け、どう食べるか。
その流れを見直すことでもあります。
便利さや効率を優先してきた社会の中で、“食べものの命”は、いつの間にか遠い存在になりました。
けれど、私たちが少しだけ意識を向け直せば、その流れは、もう一度戻ってきます。
つくる人、買う人、食べる人。
それぞれの思いがつながっていくとき、自然の恵みと、命への感謝を、あたりまえに感じられる社会に近づいていくはずです。
